古橋懐古館とは

愛知県奥三河飯田街道と美濃街道が交わり、古くから交通の要衝の地として栄えた稲武。山はどこまでも高くそびえ、湧き出る水は清冽をきわめる山紫水明の地、稲武。この稲武に古橋懐古館はあります。

18紀半ばより、この地の豪農「古橋家」が収集した歴史的にも、あるいは文化財としても貴重な書画、骨董を古橋懐古館は数多く展示・収蔵しております。殊に幕末維新期の資料が充実しており、維新の心を伝える特徴ある歴史民俗資料館です。

古橋懐古館の歴史

古橋家は今から約300年前、初代が中津川よりこの地に移住し、代々酒造を業としてきましたが、6代暉皃は国学に傾倒し、文久3年(1863)、江戸に上り、平田銕胤の門に入り、これを機に、国学者・儒学者・勤王家・経世家などの書画を収集しました。

その子7代義真がこれを受け継ぎ、一貫した思想で意図的に収集し、時恰も明治の変革期に当り、その広い交友と資質とにより、収集の分野を広め、その子8代道紀もよくこれを護持継承し、昭和20年末、その死去に際し、遺言により、山林1千余町歩と共に、これら秘蔵品も併せ寄付し、財団法人古橋会を創設しました。

財団法人古橋会は、8代の実弟川村貞四郎が初代理事長となり、公民館・保育園・病院等、各種公益事業を推進してまいりましたが、昭和33年、7代の50年祭を記念し、展示館を建設し、これらコレクションの一部を展示いたしました。

その後、酒倉・味噌倉も改造して拡張公開し、書画に加え、陶漆器、民具等も併せ陳列いたしました。

その開設の趣旨は、単にこれを、美術・骨董の展示会場としてではなく、館の入口に掲示してある初代理事長の「古橋懐古館の記」に明らかな様に、父祖3代に亘る志の恢弘を図ろうとするもので、時代の先覚者として混迷期に挺身し、報国の誠を致した志士仁人先哲の遺墨を通して、その人格思想にふれ、参観される方々が現代に生きる者としての覚悟を新たにされることを、切に期待しているものであります。

古橋懐古館へのいざない

愛知県奥三河、飯田街道(奥三河では一般的には中馬街道と人々は親しみをこめて呼ぶことが多い)と美濃街道が交わり、古くから交通の要衝の地として栄えた稲武(現・愛知県豊田市稲武町)。そこにある「古橋懐古館」は、18世紀中葉ころより、この地の豪農「古橋家」が収集した歴史的にも文化財としても貴重な書画・骨董・古文書・民具などを数万点収蔵している。

縁あって、平成26年4月1日に三代目の館長として赴任しましたが本館の歩みは初代館長の古橋茂人氏(1924~2012)が昭和41年から50年まで、(昭和50年に稲武町長となったため辞職され)その後は奥様の古橋千嘉子(1924~2013)さんが二代目館長となり平成25年12月28日までの38年間の長きにわたり古橋懐古館の切り盛りをされておりました。このお二人に36年間ご指導を受けてきたのが私でありました。その古橋千嘉子さんが平成25年も暮れも押し迫った12月28日の朝方に急逝され、その葬儀が明けて26年1月4日にしめやかに足助(豊田市)にて執り行われてその葬儀から戻ったのが1月6日の事でした。それから一週間ほどしてから三代目の一般財団法人理事長古橋源六郎氏から、実姉の後の三代目館長に就任してほしい旨の要請をされました。しかし急なことと私も定年を七年ほど残しており、即答ができませんでしたのが実情でありました、どうしてもとの事で無理を承知で年間3ヶ月ほどの非常勤館長をお引き受けして2年近くになりますが試行錯誤の月日が継続中というのが本音であります。

さてここで古橋懐古館の歴史と現状について概略のみ紹介させていただきます。古橋家は今から300年程前の享保二年(1717)に、初代義次(1647~1738)が美濃国中津川より遠江国秋葉山に参詣の途中この稲武において歩を休めたことがきっかけとなって、その後この地に移住し、代々酒造業営んでいたが、六代当主となった暉兒(1813~1892)は平田国学に傾倒し、文久三年(1863)、江戸に上り、平田銕胤の門人となったことにより、これを契機にして国学者・歌人・儒学者・漢詩人・諸学者・勤王家・画家・書家・俳人・経世家・天皇・親王・公家・大名・武将・僧侶・義士(西郷隆盛・勝海舟・坂本龍馬・与謝蕪村・會澤正志斎・梅田雲浜・久坂玄瑞・相楽惣三・佐久間象山・渡辺崋山・佐藤清臣・高野長英・吉田松陰・橋本佐内・品川弥二郎・松方正義・屋代弘賢・谷文晁など)の書画を収集している。その子七代義真(1850~1909)もこれを受け継ぎ、一貫した思想のもと意図的に収集し、明治という時代改革に当たって二代にわたる深い交流と資質により、さらに収集の分野を拡大し、八代当主となった道紀(ちのり・1881~1945)もよくこれを引き継ぎ継承に勤め、昭和20年12月29日に亡くなったが、その遺言により、山林1千余町歩と共に、これら多くの所蔵品を併せて寄付し、よく21年3月に財団法人を設立し、初代理事長に七代義真の三男川村貞四郎(1890~1987・元山形県知事・稲武町名誉町民)がなっている。

財団法人は(公益法人制度改革により平成24年4月1日以降は一般財団法人となる)の主たる事業としては公民館・保育園・病院など各種の公益事業を推進させ、昭和33年、七代の没後五十年祭を記念して、展示館を建設し、コレクションの一部を展示することとなった。しかし、一般公開するに当たって酒倉・味噌倉の改造をしてさらに前掲した書画に加え、有田、常滑をはじめとする陶器、漆器、当家の人生儀礼・年中行事に使用した生活用具(民具)など2000点ほどの酒造用具・養蚕用具・交通交易に関わる民具なども併せて展示し初代館長に古橋茂人が就任したが、昭和50年に稲武町長(後、五期二十年)になったことにより、二代目館長に古橋千嘉子が就任し、その後38年の長きにわたって古橋懐古館の展示。保存さらには五冊の「古橋懐古館資料集第一~五」懐古館収蔵の書画の解説集を作成するなどわけても博物館運営のなかに地域の女性たちの参画をうながす生活改善運動の推進役をもつとめる一方、地域の若妻学級にて郷土料理の指導や愛知県立田口高校稲武分校の特別講師として生活史(食文化)の指導にあたったことは地域博物館としては先駆的活動であったことは特筆される。この後継をすることは至難のことでありますが個人的には奥三河をはじめ三遠南信地区の人々に出前講座(これまで460回ほど開催・講座内容は館案内のブログを参照してください)をはじめとして、まゆっこクラブの育成、明治十五年よりこのかた134年来継続している伊勢神宮に献糸として200匁目の生糸を奉納することなど点としての小さいながらも国力あげての「地方創生」の歩みを実践していく所存でありますのでよろしくお願い申し上げます。なお、高校・大学などの現地実習をはじめ大学の調査、ゼミ合宿などの裏方、とくに調査地の設定をはじめ古文書などの調査実習、研究発表などのお手伝いもしておりますので(これまでに1000名近くの人たちが利用しております)何なりと古橋懐古館の学芸担当者にお問い合わせのほどお待ちしております。

三代目古橋懐古館館長 西海賢二
平成28年1月

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